案内人のPONCHOです。
今年3月からちょい山CLUBをスタートして、参加してくれる方と話していて思ったこと。
「他のヒトの迷惑になっちゃいけない」「足手まといになりたくない」
そう思う、キモチわかります。
だから興味があっても、山に行けなかったのだろうし。
だから案内人としてのボクは、キツい時間が長いと感じる前に休憩を入れたり、水分補給やエネルギー補給を促しています。
でも、不思議なことに、当初は月1回、夏から月2回のちょい山CLUBに参加してくれるようになった方は、その月1回、月2回の山歩きだけで、山を歩くカラダが少しずつできてきて、最初よりも歩き方は上手くなり、5~6時間の山歩きでもヘバらない体力がついてきて、山を楽しむ余裕が出てきていることが、よくわかりました。
体力的な余裕、それはほんの少しでもできてくると、見えてくる風景が変わり、感じられる空気が多様になり、山のなかに漂う香りの変化にも敏感になってきます。
もともとヨガに取り組んでいる方が参加者には多く、自然や自身のカラダに対する敏感さを養ってきているというのもあるかもしれませんが、ただ「癒される」というのとは違う自然とカラダの関係を楽しんでいると感じます。
「癒される」という自然がカラダに与えてくれる一方向のエネルギーのやり取りではなく、エネルギーの交換、または受け取ったエネルギーを一緒に山を登った人達と分かち合えることを「キモチいい」と感じているように思えるのです。
だから体力的に少し弱い参加者がいたとしても、山の中で同じジカンを共有する仲間として、初めて出会った参加者だとしても、「迷惑」とか「足手まとい」なんて思うヒトはいないのです。
それは森のようなもので、背の高い大きな木があっても、その合間には低木があって、落ち葉の間には小さな花を咲かす植物があり、日陰にはコケが密生し、キノコが顔を出したり、さらに言えば、鳥、哺乳類、昆虫がその中で生き、それぞれがそれぞれの役割を担って、そこにいるのです。
山をハイクする楽しみのひとつは、通り過ぎるだけの一瞬かもしれませんが、その一瞬でもそこにある自然の一部としてなんらかの役割を担っていることを、ある時ふと思えることだとボクは考えています。
そして自然の一部というのは、一緒に山をハイクするちょい山CLUBの参加者や、すれ違った他のハイカーも含まれたものだと思うのです。