案内人のPONCHOです。
昨日、小雨まじりのなか歩いたのは、富士山登山口の代表的な4つの内の2つ、
富士ノ宮口と御殿場口の間にある原生林と、砂礫の山・双子山です。
あいにくの雨・・・そう言われてしまう雨。
でも、大きな木々に覆われた森歩きでは、
小雨や霧雨が、風景に「幻想」とか「神秘」という魔法をかけてくれます。
それに雨に濡れた森は、晴れた日とは違うキラキラした輝きに満ちています。
そのキラキラは、小さな雨が訪れる度に、森を歩き進む程に変わっていきます。
キラキラは、イキモノをイキモノ以上にも見せてくれます。
小さな気配がいつもよりも満ちているように感じられて、ボクらの想像力を刺激するからなのでしょう。
そしてキラキラはボクらが街の生活で見ている世界を、とても限定的で、狭い世界なのだと教えてくれます。
降りしきる霧雨のように、もっともっと繊細に世界を感じてみれば、なんでもないと思い込んでいたものが、実は宝物のような瞬間なのかもしれないと気が付けるように思うんです。
ある方が、「どうせガスるなら、なんにも見えない方がいい。諦めもつくし、また来ようと思えるから」と仰っていました。
でも、ボクは、なんにも見えない中で、いろいろ見ちゃうんですよね。確かに視界は真っ白なんだけれども、そこにあるのは普段は見られない世界で・・・見えない世界をもっと見ていたいと思ってしまうんですよね。
なにを見るか。
なにを見つけるか。
なにを見ようとしているか。
そんな自分を中心にして見ている世界の傍らに、
なにかが、ボクやアナタに見せようとしているモノもあると思うんです。
いや、見せようとしているだけじゃなくて、
感じさせようとしているのかもしれません。
木々のすっきりとした香り、
雨のやさしい感触、
吹き上げる風の鋭敏な冷たさ、
小鳥たちの喜んでいるようなさえずり、
親子鹿がボクらを警戒するいななき、
谷間に木霊する笑い声・・・。
普段とは違う感覚を刺激される、雨の森歩き。
雨が森の風景にかけた魔法は、春の新緑や秋の紅葉と同じように、
すぐに消え去ってしまう、小さな季節のようでした。
それでは皆さん、またどこかの山で会いましょう!