案内人のPONCHOです。
今日、山ランへの行き帰りの電車内で
御年70歳の羽黒山伏さんの本を読了。
知り合いに、「志田さんは山伏みたい。この本、読んでそう思った」と言われ、
どんな部分でそう思うのかな? と気になって読んでみた。
修験は魂を強くするために行う
↓
山はあらゆる循環のはじまり
↓
だから山は魂を再生させたり、強くできる
↓
魂が強くなると感じられなかったものが感じられるようになる
↓
同じ時、同じ場所にいても、感じられるヒトと感じられないヒトがいる
↓
例えば山歩きの際に、それまでヘトヘトだったのに、水の流れる音に気が付いただけで、チカラが湧きおこってきたりするヒトがいる
なるほど、確かに・・・
ボクは修験を行ったことはないけれど、
一晩中山のなかを移動する
日本山岳耐久レース~ハセツネ~を通して、
脳がカラダを動かなくする発見をしている。
脳はツラいことに遭遇すると、カラダに余裕があっても
早めにストップを掛けてくる。
だからそんな脳にダマされないために、
ジブンまわりにあるいろいろなチカラに敏感になった。
自然のチカラを感じて取り込むことで
取り込もうと意識することでカラダは脳のストップ指令を無視して
再び動くようになることがあるのだ。
ヘタりこんで、もう絶対に歩けない・・・とココロもカラダも折れた状態から、
夜明けがやってきて、空が白みはじめ、鳥が囀りはじめた。
ただそれだけ。
ただその状況に、あぁ、キモチがいいな。
太陽の光を取り込んで、カラダがパワーにできればいいのに・・・
なんて思っていたら、ココロが前向きになってきた。
間もなく勇気が湧き、パワーが戻り、
ラスト10キロを過去最高のスピードで走ることができた。
その時、ボクは確信した。
限界を決めるのはボクじゃない。ボクを支配しようとする脳じゃない。
自然のエネルギーを感じて、同化するように動こうとするカラダなんだ! って。
魂という意識はこの本を読むまでまったくなかったけれども
なるほど確かに、魂を強くすれば、
感じられないものも感じられるようになるのだと思う。
ただ著者はカラダと魂を同じものとして捉えているけれども
ボクの感じ方はちょっと違う。
脳とカラダとボク(魂)のように感じている。
AをやればBという結果が出る。
でもCをやったら、どうなるのだろう?
この時、Cをやったらと思いついているのは
脳でもカラダでもない、ボクだ。
ボクはCをやったら、脳はどう反応し、カラダはどんな状態になるのだろう? かを知りたいと思っている。
当たり前に考えたらボクは脳と一致していると考えるべきなんだろうけれど、
一致していないから、脳の反応を知りたい訳で、カラダについても同様で・・・。
と書いたはいいけれど、こんな事をきちんと考えたことがなかったので
まとめ方がわからない。
まぁ、山に入ったら、大変とか疲れたとか腹減ったとか
当たり前なことはあまり考えない方がいい。
普段やらないことをやっているのだから
いろいろ不都合が起きるのは当たり前。
山っていいなって感じられるのは
不都合なことが起きていても
それを忘れてしまっている時。
ジブンを忘れてしまっているとき。
その時、たぶん人は自然と魂レベルで
共鳴しているんだろうなぁって思う。
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