案内人のPONCHOです。
昨日、女性3名とヨガ講師のCHIKAKOの5名で
東京西部・檜原村の浅間嶺へとハイクしてきました。
浅間嶺へは、毎年4月の恒例ハイク。
近場、無名のこの山は、わざわざツアーで行く山ではないと思われているのか、
ちょい山で参加者を募集しても、毎回参加者ゼロが続いた不人気の山です。
でも、私はこの山の、人が暮らす里から、自然の色合いが濃くなる里山へ、
人が自然に折り合いをつけながら共存していこうといている雰囲気が
たまらなく好きなんです。
車道の間を縫う、民家と民家をつなぐつづら折れの細道。
その道端には、レンギョウ、ニリンソウ、スイセン、ムスカリ、ツツジ、スミレ、ヤマブキ・・・。春の彩りに、本当にココロが躍ります。
そして浅間嶺ハイクの目的は、この物干し台のシダレザクラです。
今年はサクラの開花、満開が早かったので、美しい姿を見ることを
諦めていたのですが、ちょうど満開! しかも透き通る青空の下で!!
私は10年以上、このシダレザクラに会いに来ていますが、
これだけ完璧な姿を見られたのは初めてです。
シダレザクラが満開の頃は、まだ新緑には早いのですが、
今年はサクラと新緑が同時期になる不思議な光景に包まれました。
なんでもない、青葉の頃の風景です。
でも、この日のような青葉の景色と出合えるのは、本当に稀です。
清冽な湧水のようにキラキラと輝き、湧き出る新緑。
なぜこの最高のタイミングにココにいることができるのか?
そんなことを考える時、私はこの自然に認められたのかもしれないと思うのです。
そして、自然は私になにを贈っているのかを想像します。
ザワザワとした世の中だからこそ、
自分自身の内側にあるはずの、やさしさに気が付こう。
美しい風景を美しいと思えることは、当たり前ではありません。
美しい風景を美しいと思えるには、その美しさを受け取る用意が必要だと思います。
でも、用意ってなんでしょう?
例えば今回のハイクの下山口の人里のバス停。
ココのシダレザクラは、檜原村でも人気の観光スポットです。
このシダレザクラを見に来た多くの人たちは、
バス停の正面に立った場所から、誰かがこのシダレザクラを紹介した方向から、
このシダレザクラを見るんです。
自分が今立っている場所は、正しい場所なのかを確認するように。
でも、バス停という人の暮らしの中にある、このシダレザクラの風景は多面体です。
正面なんてないんです。
見るという行動を、知っていることを確認することだけに限定しなければ、
私たちは自由な想像力に満ちるはずなんです。
それが、発見です。
自分の目を、見たいものに限定しないこと。
それが、やさしさです。
春の風景が教えてくれているのは、そんなことなんじゃないかと思っています。
それでは皆さん、またどこかの山で会いましょう!